そもそも問題なのは以上に書いたように「暗記」なるものが、なにものかがはっきりしないことにあろう。そこで、以下のように定めてみる。
ここでは、三角関数の加法定理を覚えているような状態を「丸暗記」と呼ぶ。次に、三角関数の倍角公式は加法定理から求まることを知りつつも、センターのようなスピードを要求される場面で使うために公式を覚えている状態を「暗記」と呼ぼう。和積・積和公式のように公式の雰囲気や導出方法は知っているが、正確には覚えておらずその都度導出する(暗算などで即座に導出できる場合を含む)ものを「覚えている公式」とでもする。
だいたいこれら3つの暗記度合いがあって、その区別の仕方が人によって違うのではないかと思う。
丸暗記に含まれるのは、導出が非常に煩雑だったり高校の範囲を逸脱している場合である。ネピアの数(自然対数の底e)の定義が良い例でlim[n→∞](1+1/n)^nは「丸暗記」させられる
この事実から「覚えている公式」をいくつか容易に導出できる。x=1/nとすれば
lim[x→0](1+x)^(1/x)=e
また、
lim[n→∞] n log (1+1/n)=log e=1・・・(Ⅰ)
これらは最初の部分で定めた名前ていえば「覚えている公式」であろう。この「覚えている公式」はlogの定義から来る「丸暗記」事項
log x^n=n log x
も関係している。つまり、「丸暗記」事項①eの定義、②logの定義(性質)から「覚えている公式」(Ⅰ)が得られると言うわけだ。
とすると、この数学の公式群の根本をなす何かしらの「丸暗記」事項がまずあって、これは無批判に受け入れるとする。教科書で証明をしてもたいていは忘れてしまうレベルか、そもそも「定義」にすぎない場合だ。そして、そこから派生する公式群がたくさんあって、必要性や導出の煩雑さを鑑みて暗記するべき「暗記」する公式、その都度導出するふりをする「覚えている」公式が生まれる。
『暗記』数学を批判する人は以上3つの公式全てを「丸暗記」事項として捉えることを批判する立場であろう。また、『暗記』数学を支持する立場は「丸暗記」「暗記」事項を覚える必要性を訴える立場であろう。
いずれにせよ様々な方法で公式が証明できるのも数学の「美しさ」の一つであるのに、すべて暗記して無批判に受け入れてしまうのは実につまらない態度である。数学は速さも大事だが、一方でそれ以上のものもあるような気がするのだが、専門に学ぶ人はどう考えているのだろう。
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