小学校の頃、わら半紙に大量にすられた百マス計算を時間を競いながらやった記憶がある。
掛け算の時は、まず1から終わらせて・・あとは2だったら「2倍」とインプットした後、横にどんどん計算して行ったりしたものだ。足し算の場合は縦軸の数字を「たす2」と同様にインプットして、素直に横に順番に足していく、といちいち縦軸・横軸を確認しなくていいだけ早いのでなんと効率の良いことか、と自己満足していた。
が、これを上回る効率の良さを追求した百ます足し算の解き方(テクニック)が存在する。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2753
上のページは、NHKクローズアップ現代の一部。動画も見られるので見ると何を言っているか分かる。
まず、0の行をとく。これは一番上の行の数字をただコピーすればいい。
次の1の行をとく。これを聞いた瞬間、「なんと要領のいい方法なのだ」と逆に感心してしまった。
つまり、0の行にどんどん1を足していけばいいのだ。まぁこれ自体は本質的には素直に計算した時と同じだからいい。
次は2の行をとく。これは「1の行の数値を」1だけ増やしていけばいい。以下同様に解く。
これだと、「数字を写す(移す?)」「1を足す」という操作だけですべての問題が解けることになる。まるで、掛け算が定義されていないコンピュータで足し算の繰り返しで掛け算を実現するかのような、ことである。開いた口がふさがらないとはこのことであろう。
でも、人間の頭はコンピュータではないのだがら、一般の足し算という概念を訓練することで新たに「定義」することができるはず。それなのに、いつまでもネチネチと「1を足せばいい」などという楽なことをしていたのではお先真っ暗だろうし、それを見逃す小学校も小学校だ。先の動画に出演していた人の語気が若干荒くなっていたのもうなずける。
掛け算はどうだろう。0の行は全部0。1の行は「移」せばいい。ここまでは、普通の考えだから許そう。で、2の行は同じ数字を足すことで2倍が実現される。3の行は2の行に1の行の数値を足せばいい(これでは掛け算ではなく足し算の練習になっている。)以下同様。個人的にはあまり楽になっていないと言うか、むしろめんどくさいのでテクニックとしてはボツだ。
ということで、掛け算はわりと「不正」をしにくいかもしれないが、新たな方法があるかもしれないのであとで考えてみたい。
いずれにせよ、100マス計算が最大の効力を発揮するのは素直に解いた時だろう。その後に、観察をして「あ、1をどんどん足せばいいんだ」と気づくのは良いことだろうし、それによって思いも寄らない発見が得られるかもしれないから一概に否定する気はない。でも、それを発見したとして、それを初めから使うのは非常に醜い行為だとは思わないだろうか。目的が計算練習である以上、計算練習として100マス計算を利用するのが当たり前で、「早く」「楽に」解くのはその目的には反していると、断言できる。
だから、競争を取り入れるのは計算練習(計算速度の向上)にも役立つのだろうが、「早く」という目的を付加したせいで「+1方式」も正当化されてしまうという弊害が生じているといえるだろう。楽してといても意味が無いのが100マス計算だという意識があれば問題は一気に解決するのだが、小学生にそう言っても無理だろうし・・。答えが同じならば頭の中の計算方式を強制はできないからどうしようもないか。その点、掛け算は手抜きがしにくいので計算練習の効果が期待できるということか。
ということで、驚き、呆れ、ある意味感心した100マス計算の解き方であった。
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